凡例
序 章 オスマン朝と遊牧民
1 オスマン朝と遊牧民―なぜ、今、オスマン朝の遊牧民に着目するのか?
1 現代世界とオスマン朝、そして遊牧民
2 「オスマン朝の遊牧民」に着目することで何が分かるか
3 本書のねらい
2 遊牧と遊牧民とは何か
1 遊牧と定住―曖昧な境界
2 オスマン朝における遊牧民の定義とその内容
3 オスマン朝における遊牧民をめぐる研究動向
1 オグズ二十四氏族とアナトリアのテュルク化研究
2 遊牧民の生業、居住地分析
3 遊牧民の定住化
4 史料と研究手法
1 枢機勅令簿、その他各種命令を記した文書・帳簿史料
2 租税調査台帳、その他財務帳簿史料
3 法令集
4 その他の資料
コラム1 「アルプスの少女ハイジ」は遊牧民?
第Ⅰ部 バルカン半島における奉公集団的「遊牧民」
1章 ルメリのユリュクとタタール、そしてミュセッレム
1 奉公集団とは何か
2 オスマン朝のバルカン半島征服とルメリのユリュク、タタールの起源
1 ルメリのユリュク
2 ルメリのタタールの成立
3 奉公集団制度の成立とその管理体制
1 ルメリのユリュク
2 ルメリのタタール
4 奉公集団の奉公内容とその実態―枢機勅令簿の分析を中心に
1 ルメリのユリュク
(1) 戦役への参加 /(2)城塞の建造、補修
(3) 大砲の運搬 /(4) 鉱山での労役
(5) 砲弾の製造 /(6) 城塞の防衛
(7) 船の建造、修理 /(8) 橋の建造、補修
(9) 水道の建造、補修
2 ルメリのタタール
5 奉公集団の土地利用と生産活動―租税調査台帳の分析を中心に
1 ルメリのユリュクが支払う税―免税特権はいつ適用されたのか?
2 ルメリのユリュクの生産活動、土地利用
(1)セラニク県の事例 /(2)ヴィゼ県の事例
(3)トゥルハラ県の事例 /(4)エディルネ県の事例
6 奉公集団から担税者へ―17世紀におけるルメリのユリュク、タタール、ミュセッレムの変容
1 コジャジュク・ユリックの事例
2 セラニク・ユリックの事例
3 その他のユリックとの比較
4 消え去った奉公集団―ルメリのタタールの事例
(1) ヴィゼ県の事例―タタールによる農耕
(2) スィリストレ県の事例―「屯田兵」としてのタタール集団
(3) ユリュク・タタール台帳に見るルメリのタタールの各集団
5 「担税者」となった奉公集団―ルメリのミュセッレムの事例
(1)ルメリのミュセッレムはいつ廃止されたのか
(2) ルメリのミュセッレムの存続と変容
(3) 奉公集団としてのルメリのミュセッレム
(4) 奉公集団から担税者へ
小結
コラム2 テッサロニキのアタテュルク博物館とルメリのユリュク
2章 征服者の子孫たち
1 ルメリのユリュクから征服者の子孫たちへ
2 征服者の子孫たちの役割とその変容
3 免税特権から見た征服者の子孫たちとその変容
小結
コラム3 オスマン朝はまだ生きている?―2012年の路上の嘆願書書き
第Ⅱ部 遊牧民の定住化
3章 16世紀における遊牧民の定住化
1 遊牧民から農民へ?―ボゾク県における遊牧民の定住化をめぐる考察
1 法令集におけるボゾク県住民の認識の変化
2 租税調査台帳におけるボゾク県住民認識の変化―記載方式の観点から
(1) 記載方式の変遷に見る住民認識の変化の変遷
(2) 担税額の変遷に見る住民認識の変遷
3 租税調査台帳における部族集団ごとの担税額の変遷と部族集団認識の変化
(1) 部族集団別の担税額の変遷
(2) 村および耕作地別の担税額の変遷
4 小結
2 遊牧民であり続けた農民―アダナ県における農耕の拡大と遊牧民の存続
1 租税調査台帳の記載形式と部族集団、村、耕作地
2 税制とジェマアト名分類の存続
3 住民の流動性とジェマアト・耕作地
4 小結
コラム4 見やすい史料、見にくい史料―史料調査の悲喜こもごも
4章 シリア北部への遊牧民定住化政策
1 定住化政策の発端―等閑視から問題視へ
2 定住化政策の内実
1 同一地域内での定住化令
2 他地域からの定住化令
3 何が両者を分けたのか?―定住化政策を強制された部族と免除された部族
4 逃散する遊牧民とオスマン朝―定住化政策のもたらしたものとは
小結
終章 オスマン朝にとって遊牧民とは何か、遊牧民にとってオスマン朝とは何であったのか
あとがき
参考文献
索引(人名・地名・事項)
· · · · · · (
收起)